0.そもそも
そもそも最初は裁判用語もろくにわからなかったのですが、2年もやっていると、業界用語を覚えてしまい、一般の方にわかりにくい話をするようになってしまったのを反省し、基本的なことを一度ざっくりとまとめてみたいと思います(あくまでざっくりなので、大枠で間違いがあったらご指摘いただきたいのですが細かいことは突っ込まないでください)。
1.裁判を受ける権利の実際
「訴えてやる~」という人気番組がありますね。国民はみな裁判を受ける権利があります。納得できないことは裁判に訴えて裁判所に判断してもらうことができます。しかし権利があることと、実際にその権利が行使できるかどうかは別問題だというのを裁判というのは徹底的に教えてくれます。
素人が裁判をするというのは大変なことです。ただ、納得いかん、それはおかしい、という庶民感覚ではだめで、事実を法律に当てはめて主張しなければなりませんし、さまざまな手続きも知ってないと不利です(裁判手続きは主に民事訴訟法という法律で決まっていますが、そんな法律に精通している一般人はいませんし、法律がわかっても次にはもっと厄介な「実務ではこう扱われる」という素人には越えがたい壁があります)。
ある弁護士さんがおっしゃっていました。「裁判とは、知的格闘技だ」と。裁判は正義が勝つという単純なものではなくて、あくまでも法律というルールにのっとった格闘技なのです。本人訴訟で弁護士と戦うというのは、小学生がプロボクサーと戦うぐらいの力量の差があります。
裁判所は公正が旨ですから、こちらが素人だからと言って、積極的に何かを教えてくれることはありません(聞けば手続きなどは教えてくれますが、素人には何を聞いたらいいかすらわからないのです)。
ましてや、どういう作戦で相手と戦ったらいいかなど、教えてくれません。
つまり、裁判とは、法的正義の前に、弁護士代が出せるかという経済的な戦いなのです。
2.裁判の目的
裁判には、民間人が民間人を訴える民事裁判と、国家権力(検察)が市民を訴えて処罰する刑事裁判があります。私がしている裁判は、民間人である私が、民間人である東京電力株式会社を訴える民事裁判です。
訴えた人を原告、訴えられた人を被告といいます。つまり、私が原告、東京電力が被告です。
なかには、放射性物質を回収しろとか、排出するなという訴えをしている方もいらっしゃいますが、民事裁判の基本はなんでも金銭に換算して「金を払え」、ということです。
日本は自由主義なので、誰かに何かを強制するということはできないので、仮に「東電は放射性物質を回収しろ」という判決が出たとして、東電がそれを実行しなかったとしても、(たとえば体罰などを使って)東電にやらせることはできず、判決の義務を果たさなかったことを金銭評価してお金を取ることしかできません。お金に関しては、相手方に資産があれば強制的に取り上げることができます。
そんなわけで、私が請求しているのはシンプルに「東京電力は慰謝料10万円を払え」という判決です。
10万円に意味があるわけではありません。精神的苦痛を金銭評価するなどということは本来できないことですし、そもそもお金目当てで東電を訴えている人はいないと思いますが、いくらであれ慰謝料が認められるということは、謝られるべき苦痛を受けたという意味を持ちます。
告訴したときは、ネットに東電のまわし者だとか、やくざだとか、金目当てのゴロツキだとかいろいろ書かれたりもしましたが、満額10万円もらっても弁護士代やかける労力は自己負担なので裁判というのは全く割があいません。非難された方は、そういった事情をご存じないのでしょう。
ちなみに、裁判費用は負けた方が持つのが普通ですが(そう請求するし、判決されます)、裁判費用とはつまるところ訴状に張る印紙代(要するに裁判所に払う裁判代)のことであって、勝っても負けても弁護士代は各自自腹です。
3.裁判の起こし方と進み方
裁判を起こすには訴状という書類を書いて、請求額に応じた収入印紙をはって、裁判所用と相手方用に2部コピーを作って、あとは切手を添付するか郵送料を払いこんで裁判所に提出します(ちなみに郵送料は6千円ぐらいかかりますが、余れば裁判が終わった時に返してもらえます)。
提出する裁判所は、地域と訴える金額によります。私の場合は、訴える金額(訴額と言います)が10万円で、東京渋谷区在住なので東京簡易裁判所に提出しました。(現在は東京地方裁判所に移送されています)
しばらくすると、裁判所の書記官という人(その裁判の事務を取り仕切る人)から電話が来て、第1回の期日(法廷に集まって裁判をする日を期日と呼びます)の調整がされます。
それが決まると、訴状が特別送達という裁判手続きだけで用いられる特別な郵送方法で被告に送られます。
第1回目の期日は、被告側はスケジュールを聞かれていないので、欠席してもよい(擬制陳述)ことになっていますが、訴状に対する答弁書は出す必要があります。
それ以後、毎回の期日(通常1カ月間隔)までに(1週間前ルールというのがあるらしいです)、準備書面と称する自分の主張や相手の主張に対する反論を書いた書類を交互に提出します。
期日で裁判長に「準備書面を陳述しますか」と聞かれたら「はい」と答えると書面を読み上げたことになります(裁判手続きというのは読み上げないといけないという建前があるからのようです)。そうして陳述された書面どうしで議論し、法廷では、全般的な方針とか、次回の期日の約束とか、事務的なことなどを話して数分で終わります。
訴状や答弁書、準備書面は主張を裏付ける証拠も添付します。書類の証拠のことを書証といいます。
原告側は、甲第○号証、被告側は乙第○号証というふうに番号を振ります。
一通り争点が議論されると、証拠の一つとして申請して裁判所が認めれば、証人尋問をすることがあります。テレビで裁判風景として出るやつです。一般用語の証人のことを裁判では人証と呼びます。
そうして、一通り議論が終わると、結審が宣言されて、しばらくのちに判決が出ます。
判決の時は、裁判所から駆け出した人が「勝訴」と書かれた巻物をテレビカメラに向かって映すような事件でもない限り、通常当事者は出席していないので、裁判手続きの間は両側の弁護士からぺこぺこされていた裁判長が、最後判決の時は当事者がいない中で空に向かって判決を読み上げるという不思議な光景になります。
実際には、ある程度議論が進むと、弁護士同士だと自分の旗色がわかるので、裁判所に和解を勧められて和解をすることが多いようです(この訴訟で和解はあり得ないと思いますが)。
判決が気に入らない場合は、上級裁判所に訴えることができます。
地方裁判所から始めた場合、高等裁判所、最高裁判所とあと2回訴えることができます。
4.傍聴とは
裁判は公開というのが原則です(非公開のものや、非公開の弁論準備としてなされるものもあります)。
なので、基本的には誰でも裁判を見学することができます。
その裁判の見学のことを傍聴と言います。
ただし、傍聴しても、一般には、前述のように、裁判官が「準備書面を陳述しますか」と聞き、弁護士が「はい」と答えるだけなので内容がわからず、面白くも何ともないのが普通です。
なので、当サイトでは準備書面を公開しています。予習しないとあまり中身がわかりません。
5.傍聴するには
傍聴するには、当たり前ですが裁判所に行かなければなりません。
特定の裁判を傍聴するには、東京地裁のように大きな裁判所の場合、その期日の他、事件番号や原告・被告の名前など事件を特定する情報が必要です。それがわからないと、どの法廷で裁判がおこなわれるかわからないからです。
私の次の裁判は
5月19日(火)午前11時
東京地方裁判所 706法廷(7階)
ですから、これさえわかっていれば大丈夫です。
東京地方地方裁判所は地下鉄霞ヶ関駅から徒歩5分ぐらい(出口による)です。
入口をはいると、なぜか、正面に向かって一番左側が出口、真中が弁護士・検事・職員用の入口、一番右が一般人用の入口です。
我々一般人は、一番右側の入口をはいると、空港にあるような手荷物検査があります。
(朝10時頃は、この手荷物検査が混雑して時間がかかることがありますので、多少早めにお越しください。)
そこを無事通り抜けられると、ホールに出て、そこのカウンターに、どの事件がどの法廷でやっているかの一覧表が置いてあります。
しかし、上記のとおり法廷がわかっていればエレベータに乗ります。
615法廷6階です。
法廷の部屋の入口に事件(裁判)の一覧表が貼ってあります。それを確認して中に入ると途中に柵があり、その手前が傍聴席、向こう側が関係者がいるところです。
傍聴席はあいていたら自由に座ってかまいません。逆に裁判中は立っていてはいけないようです。
裁判長が入廷すると、傍聴席の人も含めて起立します。
書記官が事件番号を呼び、原告と被告に席に着くように指示します。
民事事件の場合は、正面に向かって左側が原告(訴えた側)、右側が被告(訴えられた側)です。
ここで、注意しなければならないのは、同一時刻に複数の裁判が入っていることが少なくないことです。入口に当事者の出席簿が置いてあり、両者が出席した順に呼ばれるような仕組みになっています。
お目当ての裁判がある場合、前述のように中身の話をすることはほとんどないので、よほど注意していないとどれがお目当ての裁判かわからない、ということにもなりかねません。弁護士がついている場合は、当事者は来なくてもいいのでなおさらです。
弁護士が複数ついている場合は、ずらっと並ぶことになります。通常法廷には双方に机と2・3人分ぐらいの席が用意されていますが、私の事件の場合は、9名の先生がついてくださっているので、大量のエキストラの椅子が準備されなかなか壮観です。
私の裁判を見分ける方法は、正面裁判官に向かって左側の原告席に、原告である私と、弁護団の弁護士さんをあわせて10人弱がいること(普通こんな人数の弁護士酸が並ぶことはありません)と、TVなどで有名な紀藤弁護士が多くの場合そこに在籍していることです。
なお、直近に東電が出した準備書面はこちらです。これに対する反論等は期日前にこちらから出すことになっています。国会とは違うので、こうした主張の内容に腹が立ったり、弁護士のいいように腹がたっても裁判中に野次を飛ばしたり、ブーイングすると退廷を命じられますのでご注意ください。
どんなにたくさん傍聴しても無料なので、気がすむまで傍聴して帰ります。
お腹が空いたら地下の食堂で食事もできますが、個人的には反対側のビルの簡易裁判所の地下の食堂の方が「まだまし」と思います。簡易裁判所の隣の弁護士会館のビルの地下のレストランはおいしそうに見えますが、何となく敷居が高そうで入ったことがありません。
なお、私の裁判の場合は、裁判のあとに、法廷の隣の待合室(そこに人がいて出来ないときは、エレベータホールの長い廊下を挟んで反対側の法廷の待合室)で弁護団から説明があります。
ぜひこちらもご参加ください。和気あいあいとやっていて、わからないことや基本的なことも自由に参加者が質問されています。
また、傍聴希望者がたくさんいる裁判は、満員御礼の札が下がっていることもあります(立ち席は不可なので)
事前にそうなることが予想される裁判は、傍聴券の抽選というのをやっています。
私の裁判はまだそうなっていませんので、くれば座れます。
6.なぜ傍聴をお願いするのか
裁判官はもちろん法律に従って裁判を指揮し、判決を出さなければなりませんが、法律に書いてある通りの事例などほとんどなく、どの法律をどう適用するか、法律の行間の判断をするのが裁判官の仕事です。
日本の裁判制度は自由心証主義と言って、裁判官は(法律の範囲内で)自由に心証を持って判断することができます。つまり裁判官も人の子、多くの人の関心の高さに影響を受けると言われています。
これだけの目が注視しているのだから真剣に判決を考えなければならないというプレッシャーがかかることは確かでしょう(傍聴人がいない裁判では真剣になさっていないという意味ではありません)。
そのため、世間の注目を浴びていることの一つの証左として、傍聴人の数なのです。
首都圏3千万人のうち、どれほどの人がこの裁判の主張に賛同して傍聴していただけるかは、大きなポイントの一つです。
東電は答弁書(p5)で、「(私が原発事故とそれによる放射能被ばくに恐怖感を持ったとしても)原告個人の、考え方、性格、感受性等の個人的資質に基づく特異な事象」、つまり、私が変人であるから恐怖感を持ったのだと主張しています。
私が変人であるか、それともあの状況で恐怖感を感じるのは多くの方に共通な感覚であるのかを裁判所に伝える一つの、そして大きな方法が傍聴なのです。
7.裁判で目指すもの
裁判の効果は、当事者だけです。つまり、たとえ私が10万円の慰謝料を獲得できたとしても、直接それが都圏にお住まいの3000万人にも勝訴の効果が及ぶわけではありません。しかし、判決が確定した場合、被告や国は負けたことを前提に慰謝料の支払いに応じるスキームを作ることが多いのです。
個人的には、そんなことよりも何よりも、原発で事故が起きるとこれだけの被害が出て、実際に未曾有の数の人々に賠償しなければならないのだという現実を作りたいと思います。
そしてさらに、原子力政策をはじめとする国民に大きな影響をもたらす政策判断は、想定外という言い訳が許されず、失敗にはこれだけの重みがあるという認識を、行政官や議員さん、そしてなによりも我々国民が認識するきっかけになれば訴えた甲斐があります。
水俣病を出した「チッソ」という会社は見せしめとも思えるほどの処遇で生きながら死んでいるゾンビ企業にされています。この事実は公害を出すということがどれほど重いことか、チッソは広告塔になっています。
東電は、破産させることができなかったのですから、せめて原発事故の被害の大きさと悲惨さの広告塔になってほしいと思います。